「認知」と「認識」の違い

 

久しぶりの、ほんとに久しぶりのオフ🤤💟

買い物から帰って来て高校野球見たり、溜まってた本読んだり。

 

 

野球暑いのにすごいな〜青春やな〜。

高校生活に戻りたいとは思わんけど、今の経験を踏まえて高校生に戻ったとしたら、自分がどんな進路選ぶんかは気になる。

 

「誰かのためになりたい」って、よく耳にする言葉やけど、資格者としてそれを実現させようと思ったら、その方法にどこかで専門性を出していかないといけないという意味で、本当に努力が必要やなあと思う。

でも 最近思うのは、方法は違えど資格がなくても「誰かのためになる」ことは可能やなあってこと。

 

ためになってるかなってないかって、客観的に評価できることじゃないから、当事者本人にしか分からんし、当事者の家族とか友達とか恋人とかが当事者に提供してることの方が、資格者よりも良いものを提供してる可能性なんて十分あるな〜とか考えたら、資格者って何だろうね。

 

「誰かのためになりたい」と思ったときに、大切なのは資格の有無じゃないと思うようになったな〜(当たり前のことに最近気付く)

 

 

そんなことを考えながら

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カンボジアのお土産で貰ったレモングラスティーを飲む。香りがちょ〜レモン(語彙力)。

 

 

 

最近読んだ本より。

〜認知(cognition)と認識(recognition)の違い〜

⇨認知(cognition)とは、感覚器を通して知覚的に物事をとらえ分けるという知り方。

⇨認識(recognition)とは、意味を通して概念的に物事をとらえ分けるという知り方。

 

 

難しいな〜、さて、洗濯物ほそ!